三浦三崎港は世界でも有数のまぐろ水揚げ港である。その三崎港で当社は昭和25年に創業した。
そしてここ三崎港に水揚げされた新鮮でもっとも質の良い白皮かじきを主に「酒粕」「味噌」を使用し、
それらの発酵の助けを借りて『まぐろ粕漬・味噌漬』を製造したところ、原料より一段と価値ある
独特なまろやかな風味の製品を造り上げる事に成功、 そしてさらに研究を重ね、昭和27年にここ三崎より
当社が初めて世に送り出した。
昭和30年には神奈川県からの要望により、これらの製造技術の開放を決意し、神奈川県水産試験場に
資料を提出するとともに、講習会を開催してまず5社に製造技術を開放、『まぐろ粕漬・味噌漬』の産地形成
を図った。
ところが水産学会はこの『まぐろ粕漬・味噌漬』を漬物として認めるどころか、一部の識者からは漬物の
定義の上から「これは漬物ではなく、くっつけものだ」などと誹謗されたり、一部保健所の衛星監視員ま
でもが「漬物の表示をするのは違反だ」などと言う始末であった。
昭和35年頃になると、生産者の数・生産量も次第に増大してきた。一方、国内の産業は革命的な転換期を
迎え、市民生活も豊かな暮らしができるようになってきた。
『まぐろ粕漬・味噌漬』は着実に固定ファンを得て、三崎の名産品として認知され全国に知れ渡るようになっ
てきた。
昭和40年頃になって豊かな暮らしの中で食品の種類も多くなり、町にはインスタント食品やコンビニエンス
フードが溢れかえるようになり、その反面日本古来の郷土食品や名産品も数多くあったが、時の流れの中で
姿を変え、また姿を消すものも出てきた。このような状況の中、一部の識者からはこれら数多くの食品の実態
を後世に残そうという声が上がり、全国から百数十種類の名産品についての資料が集められた。その中に
三崎名産『まぐろ粕漬・味噌漬』が選ばれ、資料を提出した訳である。
この事によって『まぐろ粕漬・味噌漬』が「水産名産品総覧」(農学博士 野口栄三郎氏編)の中に記載
され、昭和42年に発売された。
これにより、『まぐろ粕漬・味噌漬』が学会から認知されずとも、この書籍の中で立派に漬物として認知される
事となり、やっと一人前になったのである。
昭和47年には、石川県能登の水産試験場の山瀬 登先生が水産漬物についての基礎実験を水産庁から
委託され、『いわしの糠漬の短期漬』についての実験を行い、長期漬・短期漬の2種類が水産漬物として
定義される事となった。
思えば、製品の開発から長い道のりであったが、これによりやっと漬物騒動は解決した。